「馬医」の主人公である朝鮮王朝後期の獣医出身の医者・白光炫(ペク・クァンヒョン)は1625年に生まれ1697年に没する。
白光炫(ペク・クァンヒョン)が生きた時代の王様は在位期間で並べると以下のようになります。
在位期間 | 王様 | 白光炫(ペク・クァンヒョン)年齢 |
1623~1649 | 仁祖 | 0~24歳 |
1649~1659 | 孝宗 | 24~34歳 |
1659~1674 | 顕宗 | 34~49歳 |
人間の医者として脂ののった活躍するのは孝宗から顕宗の時代になるのでしょうね。
仁祖の在位期間中の事件
昭顕世子(しょうけんせいし、소현세자、ソヒョンセジャ)の死が一番の事件なんでしょうね。病死とされていますが、頭の良い息子を嫌った仁祖が暗殺したなんて説もあるようです。
昭顕世子(しょうけんせいし、소현세자、ソヒョンセジャ)は清に人質として連れて行かれた王子です。清では西洋の文化に触れて開明的な思想を持つようになったようで、カトリック教にも心酔したようです。これが仁祖の怒りに触れたようです。
白光炫(ペク・クァンヒョン)は絡むのかな???
孝宗の在位期間中の政策
孝宗も昭顕世子と同じく清で人質生活をしており、昭顕世子を助けていたようです。しかし、清に対しては嫌悪感を持っており、朝鮮に戻ってからは親清派を除いたり北伐政策を進めたりしています。北伐に執念を燃やすが国力が足らず北伐はならずです。
顕宗の在位期間中の政争
顕宗の在位期間中は延々と西人と南人との間で礼論論争が行われました。一体何の礼について論争したのかと言うと、孝宗の服喪期間を何年にするかという論争・・・。孝宗は長男ではないので、1年とするか王位を継いでいるので長男に準じて3年にするのかという論争。
表面的に見るとどうでもいいじゃんと言いたくなるような論争ですが、当事者にすると命を賭けた論争なわけです。孝宗の長男である顕宗からすると王位継承の正統性にも触れる問題になるわけなので当事者にとってはどちらの説が採用されるのかが即権力に直結するので、現代人からすると喜劇的ではありますが当時の人たちにとっては真剣な問題であったんでしょう。
でも、庶民からすると全く関係のない話なわけで、こんな世の中の進歩にもつながらない話にうつつを抜かしている支配階級と言うのはダメな階級ですね。
逆説的に言うとこんな政争にうつつを抜かせるほど平和な世の中だったということかもしれません。
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