本日、「マン・オブ・スティール」を109シネマズMM横浜で17:35 に観ました。入りは6割程度。
前半は悩めるヒーローというか、苛められても自分の真の力を発揮できず疎外感を抱いて出生の秘密を持っている(?!)若きスーパーマン(ヘンリー・カビル)を描いています。ぐれてしまいそうなクラーク・ケントをしっかりとした愛情でサポートするジョナサン・ケント(ケビン・コスナー)とマーサ・ケント(ダイアン・レイン)。
以下、ネタバレしそうなので読んでもいい人は続きをどうぞ
前半の圧巻は巨大なハリケーンが襲い掛かってきて、車に残した犬を助けるためにジョナサン・ケントが行くのだけど犬は助けられたのだけど自分は逃げきれなくなってしまう。助けようとするクラーク・ケントを押しとどめるジョナサン・ケント。正体を明かすには時期尚早と判断して詩文の命と引き換えに息子のクラーク・ケントの出生の秘密を守る。助けに行きたいのだけど行けないクラーク・ケントの悔しい気持ちが伝わってきました。ここはうるっときてしまうシーンでした。
さすがにケビン・コスナーを使っただけあるなと感心してしまいました。
ところが、ゾッド将軍との戦いのシーンになると派手なCGは見事あるのだけど前半のような人間ドラマがどっかいっちゃってしまっている。戦いの中でクリプトン人として地球人として葛藤をもっと表現してほしかった。
こういうヒーローものって、アメリカを擬人化しているという見方もあります。そこからするとアメリカは異教徒(クリプトン人)に対して多少、前半は躊躇はするけどやっぱり戦ってしまうという感じなのかな?
アメリカのシリアへの対応が投影されているのかな???
コメント