イ・サン 第43話「洗い流された汚名」

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今回のイ・サンは「慈悲深き王」

封建制においては民衆は国の長を選ぶことはできないわけで、フィードバックが効かないわけで、どうやって俺は慈悲深き王様だとか俺は聖君だと確認できるのか?などとイ・サンと英祖との会話を聴きながら考えてしまいました。国の力の源泉は民衆一人一人の力でしょうからマクロな意味では王へのフィードバックはあるのだけどいかんせん遅れて伝達するしゆっくりとしか変わらないので王がメッセージを読み間違えたり、スルーしたりしてしまう。

イ・サンは王になるに当たってそのあたりのフィードバックの仕組みをどのようにしていくのかドラマではありますが観てみたいと思います。

イ・サンが次期王位を継ぐことが事実上の既定方針となりイ・サンをめぐっての様々な動きが出てきました。

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ソンヨンを持ち上げる人たち

図画署でイ・チョンがタク・チスに対して、ソンヨンがイ・サンの側室になるかもと言って、今までソンヨンを苛めていた過去を持つタク・チスに脅しをかけていてタク・チスはまともにとってソンヨン様なんて口ばしっていました。普通に考えたらソンヨンが側室になったら今まで苛めていた人たちに復讐するというのはありえる話。ポジティブに考えるとソンヨンを支援していた人たちはいい目を見させてもらえるかもという考えがありますよね。

さらに、ソンヨンがキム・ジョングム尚宮に連れられて恵嬪(ヘビン)とヒョイの前へ行くと、イ・サンを助けてくれたと恵嬪(ヘビン)がソンヨンを持ち上げて誉めそやす。さらに、ヒョイはイ・サンが弓を射っているから寄っていけばまで言ってくれる。

激変するソンヨン周辺の評価と思惑。こういうエピソードではなく清へ行く前の市場でのデートみたいなイ・サンとソンヨンのらぶらぶシーンを希望します。

政敵を拉致する人

チェ・ソクチュがイ・サンに次々と老論派の元重臣たちが行方をくらましているが、イ・サンの仕業ではないかと聞くシーンで、イ・サンはほくそ笑むような顔でそんなことは知らないと言った顔が印象に残る。

イ・サンが少なくとも承知している拉致事件かと思っていたらホン・グギョンが勝手にやっていたことだったんですね。

老論派と同じことをしていると諫めるイ・サン。イ・サンとしても何も罪に問わないことはせずにきちんとした手続きで断罪していくと語る。でもね、大逆罪したのは明らかで敵対派に時間的猶予を与えてきちんとした手続きというのもぬるいと思うんだよね。ホン・グギョンの行動の方が正しいと思うのだが。このあたりからホン・グギョンの権力への暴走が始まるのかな。

歴史を洗い流す人

父である思悼世子(サドセジャ)に関する歪曲された記録を洗草するという建前なんだけど、見ていて複雑な思いにとらわれる。まさに歴史は勝者によって作られるということがドラマの中で描かれている。

イ・サンが“洗草”を命じた記録とは、“承政院日記”というもので、イ・サン 第2巻—韓国ドラマ・ガイド によれば朝鮮王朝時代の王命の伝達と履行の報告を王に行う官庁である承政院の業務日誌で世界最大規模の記録物だそうです。そんな記録から思悼世子(サドセジャ)に関する記録を消去するというのはイ・サンの思いは理解できるけど歪曲されているとはいえ貴重な記録を消してしまうというのはいかにも惜しい。イ・サンが正しいと思う思悼世子(サドセジャ)に関する記録を並列に残して後世の判断に委ねるという選択肢もあると思うのだけど。

イ・サンにとっては思悼世子(サドセジャ)の不名誉な記述はきれいさっぱり消したいのでしょうね。

コメント

  1. セソン様~ より:

    洗草のシーンで川で記録の紙を洗っているところを見て凄く感心しました。
    ホントに洗うんだ!って。
    こういう知らない文化に触れるってのはいいですね。

  2. stanaka より:

    こんにちは。
    ホントそうですよね。文字通り洗っている・・・って思いました。紙は貴重だからリサイクルするんでしょうね。
    今ならシュレッダーしてということなんでしょうが洗うという行為が消去していくコンテンツに一定の敬意を払っていて風情があります。

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