今回は済州島の旅行で役に立った本のうち、済州島―韓国楽園紀行 を紹介します。
済州島をたっぷりと書いたガイドブックは残念ながら旅行ガイドの類では見つけられませんでした。マップルなどでは観光ポイントが羅列されているだけでどのように行けばよいのかとか、どれくらいの時間かかるのか? 雰囲気は?とか、いまいち掴めない。観光付きのツアーで、行くのならこれで十分なのだろうけどDIYの個人旅行だと心もとない。 何かないのかと探して出会ったのが、この本。
著者の康 煕奉さんは済州島出身の在日韓国人二世の方。著者が済州島をバスやタクシーを使い、安い民宿などに泊まって旅したことが書かれている。ハングルができる方なので、日本語しかできない私たちに同じように旅行するのは困難だろうが、思わずバックパッカーしてみたくなる旅行記になっている。
ちなみに在日韓国人の出身地で済州島は人数で第二位だそうです。人数比からすると第一位でしょうね。
著者の康 煕奉さんは鮑のお粥が大層お気に入りのようで、あちこちで食べて「おいしい」と書いているので、私も済州島へ行ったら食べようと心に決めていたが残念ながらホテルの朝食で少し食べた程度。チャングムのロケ地めぐりのお昼に食べようとしたがタクシーの運転手からキジのしゃぶしゃぶにしろと強引に決められて食べ損なった・・・・。
また、三姓穴で正面からは穴が見えないので右に回って上ればよいというTIPSもこちらからの受け売り。
チャングムに多少関連した記述を拾い出すと
- 旧日本軍の残滓—陣地洞窟は記載されていないが、松岳山近くの旧日本軍が残した飛行機の格納庫のことが、P196にある。当初は30くらいあったが、今は20くらいになっているそうだ。
- 透明の中の青い海—狭才海水浴場。著者はここの白い砂浜に座って、飛揚島をしばらくながめていたそうな。私たちの旅行では時間がなく、ただ、歩いて通っただけ。もっと時間をゆっくりと使って、風景を楽しみたかったところだなーーといまさらながら思う。
- 三別抄—蒙古に対抗して最後に籠もったのが済州島。しかし、圧倒的な蒙古の武力に抗しきれず敗北。そして、元は1275年に済州島を耽羅国と改名して高麗国から切り離して直接支配。馬の飼育に済州島が向いているということで、蒙古が馬を持ち込んだ。チャングムが奴婢として済州島にいたときに度々牧場のシーンが出てきたがそのときの馬は蒙古からの末裔だろう・・・・。蒙古は約1世紀支配することになる。
- みかん—「鮑のお粥」P84に蜜柑が登場。トックおじさんが王様に献上する蜜柑を勝手に取って食べたことがありました。済州島で蜜柑の栽培が盛んになったのは1970年代に日本から栽培の技術が移転されてから。今では済州島の基幹産業となっている。しかし、韓国でも農産物の部分開放があり(P135)、海外から安い農産物が入ってきて不振になっているそうだ。 これを払拭するために国際自由都市に済州道は指定されて、韓国の人でも済州島では免税で購入できたり、中文観光団地が開発されたりとされている。
この本ではじめて知ったのが済州島四・三蜂起(1948年)で島民の四分の一にあたる八万人が死傷するなど、悲しい歴史があったということ。この件については何かを書けるほど見識は全くないので、興味を持った方は検索エンジンなどでお調べください。
この本を読んでから済州島へ旅行するとまた違った角度からの見方ができるのではないでしょうか。



コメント
ほほ~こんないい本があったんですねぇ~。
私も今回の済州島は、情報量が少なくて、たいへん困りました。
行ったらなんとかなるわいっ!の性格ではないので、ちゃんと下調べして、そしたらもうちょっと楽しめたんじゃないかな?とチョッピリ残念に思うこともあります。
でも済州島良かったですよね。もう過去の話だけれど。。。
私は、つい気がつくとお正月の“ソウル”名古屋出発を、チェックしているので、「いい加減にしろ!」と先ほど、自分で自分の頭をコツン!とこついておきました。
冬のソウルは、氷点下、寒いですからね、やめときますわ。
あ、stanakaさん、尼崎出身なんですね、私は、独身時代から、結婚を通じて通算10年、大阪の吹田市や、淀川区に住んでいました。
だから、第2の故郷が大阪なんですよ!
がーこさん、こんばんは。そろそろ寝なくてはと思いつつ、ブログ巡回中。
>冬のソウルは、氷点下、寒いです
本当に寒かったです。あれは1995年1月の3連休を使って行った行った韓国旅行。下のリンクでお確かめください。で、当時は西宮に住んでいて帰国して疲れたから会社を休みたいねーーなんて能天気なことを言っていたら阪神大震災の直撃を受けて、本当にお休みするしかなかった・・・・。
http://album.ohima.info/dis…