『韓日交流史』 第3回 「海峡をつなぐ陶匠400年の旅~李参平と沈当吉をめぐって」

今回の韓国文化院の講演会シリーズは韓国文化院ギャラリーMIにて開催中の特別企画展「海峡をつなぐ陶匠400年の旅~李参平と沈当吉(沈壽官家初代)をめぐって」にちなんだもの。

企画展の監修をした日本民藝館学芸部長でいらっしゃる杉山享司さんが講師でした。

焼き物戦争

文禄・慶長の役(1592~1598)は別名「焼き物戦争」とも呼ばれたそうです。というのも朝鮮半島の陶工を沢山、日本に連れ帰ったからです。陶工以外にも日本より進んだ技術を持った人を連れ帰ったようです。

李参平

文禄・慶長の役に李参平は佐賀の藩主、鍋島直茂が連れて来たと言われている。1616年に良い陶土を求めて有田にやってきて磁石(じせき)を発見、それが泉山磁石場。

有田焼を起こした。

三代目までは焼き物をし、四代目は絵付をやっていたが、その後は焼き物に関わらなかったようだとのこと。14代目で再度、作陶活動をするようになった。

沈当吉

文禄・慶長の役に薩摩藩主、島津義弘が連れてきた一人。1603年に串木野から苗代川に移住し、苗代川焼窯を造った。

薩摩焼を起こした。

薩摩藩は厚遇したが姓を変えることを禁じ、言葉や習俗も朝鮮のものをそのまま維持するように命じていた。薩摩藩としては密貿易を朝鮮半島とするときの通訳として活用を考えていた。

朝鮮からの陶工の待遇と実際

藩から士分を与えられ、援助もあったようだけど、よそ者がやってきた訳で苛めがあったようでかなり大変だったろうと言われていました。

火計手(ひばかりで)という言葉に、その気持ちがこもっているように思えました。陶土も釉薬も朝鮮から持ってきた物を使い、焼く火だけが日本の物という意味。強烈なプライドが込められているように思えました。

そういった歴史的な事実をベースに今の日韓関係を考えると複雑な思いに囚われます。

海峡をつなぐ陶匠400年の旅

「李参平と沈当吉(沈壽官家初代)をめぐって」というサブタイトルが付けられています。企画展は以下のように実施されています。

会期::2014年3月5日(水) ~ 3月22日(土)  10:00-17:00 (日曜休館、入場無料)
会場:韓国文化院1階 ギャラリーMI(1F)  〒160-0004 東京都新宿区四谷4-4-10

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