「高麗神社から見る日韓(韓日)交流史」その3

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明治22年(1889年)に高麗村と高麗川村が成立。明治29年(1896年)に高麗郡が廃止されます。そして、昭和30年に高麗村と高麗川村が合併して日高町となります。この時点で市町村の名前から高麗がなくなってしまいます。

でも、様々なところに高麗という名前が生き残っています。

  1. 高麗川
  2. 高麗川駅
  3. 高麗川中学校
  4. 高麗小学校

天下大将軍と地下女将軍が高麗駅の駅前広場に建てられていて朝鮮半島から渡来した高麗という名前に地元の人が愛着持っているのがわかります。

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高麗郡建郡1300年

あと2年後の2016年に高麗郡が建郡されて1300年となります。これを記念して色々なイベントが行われるようです。

詳しくはこちらのサイト→高麗郡建郡1300年記念事業委員会

  1. 「馬射戲 ~MASAHI~」大会 11/23
  2. 高麗美体操
  3. 歴史たんぽう講座

など、さらに2016年には虹のパレードと称して2016年5月21日・22日に1799人でパレードが行われる予定だそうです。

記念事業の目的は高麗郡のことを語る人が少なくなった、先人への感謝の心を育み、歴史を土台とした地域づくりをしていくため。

韓国との関係が悪化している中ですが、高麗文康氏は「絶えない交流」と訴えています。「渡来から未来へ」というメッセージどおりに未来志向の関係を構築できればなと講演を聞いて思いました。

陽光の剣 高麗王若光物語
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