韓国映画「愛してる、愛してない」について、もう一度考える

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ヒョンビンが主演ということで注目を集めている韓国映画「愛してる、愛してない」について、韓国映画「愛している、愛していない」観ました!にレビューを書きました。レビューは辛めのレビューになっています。

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ところで、多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)氏が、多賀谷 浩子(フリーランス・ライター) – #484 愛してる、愛してない | mammo.tvでポジティブな感想を書かれています。これを読んで思いついたことがありますので、再度「愛してる、愛してない」について書いてみます。

結論としては私の「愛してる、愛してない」に対する評価は変わりません。多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)氏のような見方もできるんだなと認識を新たにしたことを書いてみたいと思います。

結末がどうなったか…よりも大事なこと。
とりたてて何も起こらない映画ほど、
わたしたちの日常の本質に近い。

だから、満たされるのかもしれません。

多賀谷 浩子氏はこのように書かれています。しかし、私にとっては「結末がどうなったか」というのは非常に気になるところです。「日常の本質に近い。だから満たされるのかもしれません」とありますが、私にとっては映画は非日常の世界を見せてもらうもの。映画だけでなくて、小説やドラマなどもそうです。

ここで、安直に思いついたのは純文学を好むかどうかで「愛してる、愛してない」が楽しめる人かどうかが別れるんではないかということ。

私は小説でも純文学は苦手でSF、戦記物、警察小説などが好きです。つまり、自分にとって非日常な世界を経験させてくれるものが好きなのです。だって、お金払って普段と変わりない日常の世界を見せられても、それなら現実世界のほうが当たり前だけどリアルだし、それをわざわざ作り物のバーチャルで見せられてもねという感じがしてしまうのです。

だから、「愛してる、愛してない」がもっと、あり得ないほど狂おしくて切ない心象世界を描いていてくれたら、私にとっては面白い映画だったと思うんです。ヒョンビンなら、その世界を演じることができると思うんですがね。

それと、話題が違う方向になりますが、「愛してる、愛してない」の冒頭の長い1カットのシーンについて、多賀谷 浩子(フリーランス・ライター)氏が、トンネルに入って車内が暗くなるところがさりげないと書かれていて、同じように感じられているのが我が意を得たりと思ってしまいました。

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